岡田史子 サンコミックス 朝日ソノラマ

(1)ガラス玉

 岡田史子の名前を初めて聞いたのは、大学時代の同級生からでした。当時は70年代も終わりごろだったのですが、漫画の愛好会を作って、好みの漫画について情報交換している時、彼女が「岡田史子って知ってる? ガラス玉という単行本と他に一冊ぐらいあるだけなんだけど・・・最初読んだ時はよく分からなくて何これ、って思うんだけど、読めば読むほど味が出てくるの・・・・。」と教えてくれたのです。私が軽い気持ちで「へえ、読んでみたいけど」と言うと、友人はさっそくその単行本を持って来て貸してくれました。

 「ガラス玉」という題名の、一見いかにもの少女漫画ふうの可愛い絵柄の表紙の本でしたが、中を読んでいるうちに何やら背中がぞくぞくしてくるような感覚を覚え、岡田史子の独特の世界にぐいぐい引き込まれてしまいました。

 単行本の題名になっている「ガラス玉」は、この本の最初に出ていますが、キリコの絵を思わせる無人の夜の町で、レド・アールという少年がなくしてしまったガラス玉を探す、というだけの話です。レド・アールにそっくりの分身が寝室で死体になっていて、それはガラス玉をなくしてしまったからだ、と、彼は恋人のリーベに話します。


  からだが動くというそれが・・・すなわち(生きている)ことになるとおもうかい? リ−ベ・・・
  なるほどぼくは生きている どこもわるくはないし・・・けれどもここにぼくとおなじものが
  死んでいるんだよ

  だから・・・ぼくはそのために・・・・
  およそ生きたここちがしないんだ


 リ−ベはレド・アールとともに夜の町に出て、ガラス玉を探すことにします。広場には人影がほとんどなく、夜空を見上げる少年の影が長く伸びています。歩道の隅で、ひとりのホームレスが赤ん坊を抱いた女性にガラス玉を渡しています。

  まあ ありがとう・・・これでこの子は人間らしく生きてゆけますわね
  わたしはガラス玉をいつとなくなくしていたので
  この子にわたしてやることができなかったのですの

  この子はなくさず育ちますように!

 母親はそう言ってすやすや眠る赤ん坊にガラス玉をかざします。レド・アールはそれを見て「ガラス玉だ!」と、探し物を見つけてほっとします。


  玉がなくなったら・・・ぼくが死んでしまったのです

  なくしたガラス玉をどうしてもとりもどしたいときは 自分であたらしくつくるよりしかたがない
  アトラクシア・・・そう・・・わたしの故郷のその町へゆかなくては玉をつくることはできない

 ホームレスにそれを聞いたレド・アールはアトラクシアに行くことにします。リーベは彼を止めようとしますが、

  ぼく・・・ふしぎとはおもわない・・・このまま・・・半分死んでいるよりはいい
  じゃあリーベ きみは元気で

 と、彼はひとり旅立つのです。

 吹き出しのネームをこうして書き出してみただけでも、言葉がほとんど詩のようなリズムを持っていることが分かります。人影まばらな廃虚のような夜の町の風景と、死体になって横たわり深い眠りに落ちているレド・アールの分身の白々とした美しさ、そしてこの詩的かつ哲学的な言葉とが、あるここちよい不安感を呼び覚まします。シュールレアリスムの絵やロブ・グリエの不条理ロマンや映像を見ているような雰囲気でした。

 岡田史子の作品は1970年前後にCOMに掲載されたものがほとんどです。75年以降は筆を折って郷里の北海道に戻ってしまったということで、数年おいて一時復活しましたがまた描かなくなった伝説の作家でした。岡田史子の名はほとんどの人が知らないけれども、ごく一部の漫画好きにはよく知られていて、そういう人たちはみんな絶賛していました。

 短編の作品ごとに絵柄を変えたりする実験性とか、難解な表現や詩的なネーム、作品世界に漂う張り詰めた緊張感、といったものは、いわゆる商業誌ではまず見ることのできない特質で、この時代のCOMだから載せられたのでしょうが、といってその後の同人誌の世界においても彼女のような表現者は少なくとも私には見つけられなかったし、萩尾望都が書いているように、2度と出ないタイプの作家であったのだろうと思います。

(2)ポーヴレト

 岡田史子の漫画の難解さ、そして触れれば血が出そうな、ピリピリと張り詰めた危うく細い神経の緊張感とは、漫画を息抜きとして軽くさらりと読み流したい読者にとっては重苦しく痛いような雰囲気で、一般には敬遠されるだろうと思います。けれども読者の性格によっては、心の深い部分での癒しは、必ずしも軽く明るい作品を読むことだけで得られるものでないことも事実です。特に10代など若い頃には、そういったストレートに心の奥まで入り込んでくるテーマや言葉のある作品が却って効を奏することも多いのではないでしょうか。

 私の5才年下の弟は、ずっとスポーツばかりやっていた典型的な体育会系でしたが、その彼がいつの間にか岡田史子の漫画を読んでいて、「『ポーヴレト』が面白かった。」などと言っていたのは意外でした。スポーツ刈りで一見ヤクザ映画にでも出てきそうなルックスだっただけに、病的に震える神経を感じさせる女性的感覚に弟が共感したということがどうも表面上そぐわず可笑しくさえ思いました。ただ、弟は見た目は非常に男性的であったけれども、内面には相当デリケートで神経質なところもあることは血縁でもあり知っていたので、そういう部分に共鳴する何かがあったのだろうか、と納得できるようにも思いました。

 「ポーヴレト」は、おそらく19世紀後半とおぼしきヨーロッパのある国の邸宅に住んでいる若い男性ポーヴレトが、少年時代の想い出を語る形式になっています。ポーヴレトは捨てネコを拾って唯一愛を注ぎますがそのネコはすぐに河に落ちて死んでしまい、そのショックで彼は高熱を出し夢の世界を彷徨います。闇の中に浮かぶ階段を自分の骨を探して這い上がろうとする夢。そして同じころ、ただ一人の姉が病気で亡くなります。雪明かりに満たされた晩、年頃の髪の長い姉が彼のベッドに入ってきてこう語りかけます。

  《逃げないで おどろかないで もう時間がないの
  ポーヴレト ねむってしまってはいけないわ あなたはとてもむだなことをしてるのよ
  楽しくなりたいとは思わない? 満足したいとは思わない?
  夜がこわかったらろうそくに火をつけなさい

  ・・・わたしは恋もしなかった・・・うたもうたわなかった・・・》

  あくる日 姉は死にました
  姉はあかく うつくしいままに 死んだのです

  ・・・・そんなころの夜は 前にもまして長く・・・
  いっそう体をつかれさせるものでした

 ポーヴレトはやがて過失で親友をナイフで傷つけてしまいます。あこがれも、ためいきも、もはや彼にとってはむなしいものでした。思い出は過ぎ行き、ひと晩を語り明かした恋人に、ポーヴレトは別れを告げます。

  夜があけました おわかれします
  ぼくは いくさにいくのです 従軍記者としてゆくのです

  「生きる」ためです


            引用「ガラス玉」朝日ソノラマ刊

 

(3)阿修羅王

 奈良の興福寺にある阿修羅像は、いつ見ても圧倒されるような何かを感じさせられる、忘れがたい魅力のある仏像です。3つの顔と6本の手を持った異形の姿をしているのに、すんなりとした体躯と印象の強い、しかし繊細な表情は優美な少年のものであり、そのあまりの生々しい存在感はまるで命を宿しているかのようです。

 この像には誰か実際にモデルとなった少年あるいは女性がいたのではないか、と、直感的に思った人は多かったでしょう。事実は知るすべもありませんが、やはりそういう空想をかきたてられた人々の中に岡田史子もいて、阿修羅を題材にした数々の創作のうちでも最も美しい物語の一つと思われる「死んでしまった手首ー阿修羅王」を描いたのです。

 奈良の都に住んでいた大臣家の息子文市王(あやちおう)は、母の広刀自の過剰な愛情に苦しみ、父を毒殺し腹違いの兄を陥れてまで彼を家の跡取りにしようとする母から逃れようとしますが・・・彼が愛し共に逃亡しようとした奴婢の少女は怒った母に殺され、望みを断たれた彼は母が連れて来た藤家の姫君を手にかけてしまいます。彼の心は死んでしまい、無表情のままふらふらと歩くだけの息子をそれでも母は涙を流して何とか救おうとします。

 母刀自は仏師に頼み、仏師が光明皇后の命により造仏中の八部衆の一体を文市王の似すがたとして造らせることにします。しかし文市王の心はもとに戻ることはなく、遂には仏師にも剣を向け、さらに自分の手首を切って河に投身し・・・・


  あなたは よわく しかも わるい人間でした 文市王君・・・
  わたしたちは あなたをこそ 責めるべきでしたのに・・・

  ・・・けれど・・・いまはもう・・・

  
 仏師は彼をモデルとした仏像−阿修羅を造り、彼の手首をその像の中に塗り込めるのでした。

 戦いの悪鬼である阿修羅像を華奢で繊細な少年の姿として造ったのはなぜだったのか、そして、このあまりに優しく脆くさえ見えるしなやかな身体の少年が、深い哀しみに耐え、それを貫き通すような透き通った視線で私たちに今も対峙してくるのはいったいなぜなのか・・・そんな疑問を抱いていたことにふと納得させられるような、この像から感じさせられる本質的な何かを透視しているような・・・「阿修羅王」は、そういう作品でした。



 



            

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