萩尾望都 プチコミックス 小学館

(1)アメリカン・パイ

 萩尾望都の作品のうちでも、「アメリカン・パイ」だけは何度読んでも涙が出てきてしまう、と言っていたのは大学時代の男ともだちの一人サトーくんだった。一見ごつくて髪の毛が薄く、「おじさん」と呼ばれていたサトーくんがそんなことを言うのは何だかおかしかったが、実をいえば私もそうだった。私だってあねご肌のこわいお姉さんというイメージだったので、そういう女々しい?ところがあるとは恥ずかしくて人前では出せないのだった。歯医者さんに行っても、どんなに痛くても痛いとは言えなかったのは、お姉さんは我慢しないといけない、とずっと言われて育ったからだったろうか。

 それはさておき、「アメリカン・パイ」は、萩尾マンガの持ち味の一つである透明な明るさと哀感が溶け合った、いつまでも忘れがたい作品である。アメリカ西海岸のアパートに一人暮らしの、地味でダメな売れないミュージシャンの独身男グラン・パの前にあらわれた不思議な少年リュー。とうもろこしのような巻き毛頭でいたずら好きのリューが実は女の子だと知ったグラン・パは困惑するが、いつしか友情を抱きあった二人の奇妙な同居生活が始まる。少女とも少年ともつかない、小鬼のような、不思議に存在感の薄い彼女に、グラン・パは次第に父親のような感情を抱くようになる。

 自分のライブの前座にためしに歌わせてみたリューの声のあまりの良さに驚いたグラン・パは、彼女をそのままメンバーに加えることにする。彼女の歌がだんだん評判になると、ある時フランスから来たという紳士が現れ、リューの父親だと名乗るのだった。

 リューは実はフランスのボルドーの葡萄園の一人娘だったのだが、自分が不治の病にかかっていることを知り、一人で家を出てアメリカに渡ったのだった。彼女の行方を探していた父親がようやくここでリューを見つけたのだが、娘がグラン・パや友人たちに囲まれて幸せに時間を過ごしていることを知り、グラン・パに娘のことを頼むと言い残して去ってゆく。

 グラン・パはこのときこう言う:
  おれはわからんです・・・なにをどうリューのためにすりゃいいか
  でも手だすけしてやりたい・・あいつが・・歌いたいんなら歌わせてやる・・・
  なにが魂を救えるかわからんです
  あいつは いつもヘラヘラ笑ってて そっぽむいて気をまぎらわして
  死ぬことなんざ忘れてるふりしてたけど
  あいつが歌う時は真正面見てんです
  おれはリューに歌わせときます

 やがてフランスから届いた白いウェディングブーケ。「おやじさん、お前と俺が結婚すると思ったのかな」鏡の前でブーケをつけたリューに、グラン・パは「俺がもうちょっとハンサムで、お前がもう少し育ってグラマーになったら、絵にかいたようなカップルになるんだけどな」と冗談ともつかないしみじみとした口調で語りかける。いつも笑っているリュ−が、この時だけはまじめな顔になり、「そんな時間があればいいのにね・・・」と一人つぶやくシーンが心に残る。

  古い古い歌が だれが作ったのかわからないぐらい古い歌が
  それをつくった人のことも 歌った人のことも
  すべて忘れ去られ 消え去っても
  その歌は残っているように・・・

「わたしがたとえ目の前で死んでも 信じないでいてくれる?」
とリューが言った時、うなずいたグラン・パ。
  
 ・・・だから これにはあの子の死んだときの話はないんだ
  あの子は 旅に出たんだ 長い旅
  

 ひとり砂浜を歩くグラン・パのシーンで物語は終わるのだが、透き通って明るくて、そのくせ妙に哀しい夢を見た時のように、なんともいえないここちよい痛みとも言うべき気分が残る。まるで、もはや誰が作ったのかわからなくなった古い歌を聞いた後、なぜだかなつかしい気持ちに満たされることがあるのと同様に。

  オレは 忘れっちまいはしないんだ
  いつあの子が帰ってきてもいいように・・・

     引用「アメリカン・パイ」萩尾望都作品集17 プチコミックス

 
 

 

(2)フロル、星、阿修羅王

SF代表作「11人いる!」の主役の一人であるフロルというキャラクターは、萩尾望都ならではの人物造型で、生物学的には両性体であることになっています。見た目は金髪の美形なのですが、言葉遣いは乱暴だし行動もパワーありすぎで、女の子の外見に男の子の性格、という、リボンの騎士サファイヤとは逆の設定。萩尾望都は「強い女性が好き」と自分でも言うとおり、女性キャラクターを主人公にする時には「スター・レッド」の星(セイ)や、「百億の昼と千億の夜」の阿修羅王のように、アクション系の少女を特に魅力的に描いています。

 たとえば竹宮恵子あたりなら少年キャラクターにしてしまう役割を、萩尾望都は少女キャラに任せるので、たとえばサファイヤや「スケバン刑事」のサキのように、ふだんは戦闘服?を着ていても時にはフェミニンなドレスを着て見た目女の子らしく変身する、ということもほとんどありません。そのかわり、感情や感性の部分で女性的な繊細さや微妙な憂いの表情を描き分けることに思い入れがあるようです。少年漫画のアクションものやSFものほどにはメカを描くことやアクションそのものを描くことを追求せず、全体に静謐な雰囲気とここちよい不安感ともいうべき予感のようなもの、感覚を刺激する何かに読者を酔わせ、感情の細部までこだわって描き込むところが、やはり少女漫画らしさと言えるのかもしれません。

 リボンの騎士では、サファイヤの恋人である隣国の王子フランツは、あくまでサファイヤが女装している時の姿に恋をするので、男装の時のサファイヤは敵になっていました。ところが、フロルも星も男の子の姿、あるいは戦闘服のままでも女性として愛しどこまでも守ろうとする恋人がいるところが、今考えれば大きな違いだったのではないでしょうか。これは作者の性別と世代の違いをかなり反映した発想の違いではなかったかと思います。


 

 

 

 



            

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