(1)歴史小説の楽しみ

 司馬遼太郎の歴史小説は、歴史ものの中では最も読みやすく好きでした。センテンスを短く、会話体を主として、改行の多い文体は分かりやすくスピーディーであり、本来ドロドロした人間の歴史を明快に読み解き語ってゆく姿勢も、進歩史観にゆるぎのなかった高度成長期を中心とした時代の感覚とマッチしていました。

 人間や歴史の暗い面を、敢えて露骨に暴きたてたりすることなく、淡々と爽やかで明るさを失わないバランス感覚、ある種の楽天的な健康さ、みたいなものが司馬作品の私にとっての魅力でした。歴史小説においてロマンということを第一に求める時、吉川英治の豊穣なストーリーテリングや、人物設定の魅力、辻邦生の透明で典雅な文体、円地文子の少々少女趣味的な王朝風みやびの世界、などなどが読むことを楽しめる大事な要素になりました。

 たとえば織田信長という歴史上の人物がいて、日本人みんなが常識としてある程度の彼についての情報やイメージを共有している。ところが、歴史小説の中で描かれる織田信長は、そういった共通認識をふまえてなお、書き手ひとりひとり違う人物造型がなされていて、その解釈の違いが逆に書き手の人間を表しているところが面白く、読み比べて楽しむということもできます。彼を主人公とせずとも、戦国時代を舞台にして、たとえば地方の武将や弱小の城の視点から見た場合の信長など、同じ人物がまるで万華鏡を覗いたときのように千変万化して見えるところも興味深い。信長を描いた小説は星の数ほどあり、ただ一人として同じ信長は存在しない・・・ということなのです。もし仮に信長本人が後世の歴史書や小説、ドラマに描かれる自分を見たり読んだりしたら、怒ったり困惑したり苦笑したり、反論したりするのでしょうか?

(2)歴史ものの時代設定

 司馬遼太郎が好んで取り上げた時代設定は、やはり戦国時代と幕末でした。歴史小説、歴史ドラマの舞台になる日本史の時代をざっと調べてみれば、圧倒的多数がこの二つの時代に集まるでしょう。江戸時代を舞台にした時代劇という様式化したジャンルも映像分野にはありますが・・・平安末期から鎌倉時代を取り上げるならば源平の戦いあるいは元寇となり、古くても平安時代の平将門の乱どまりで、奈良時代以前を扱うものは数としてはかなり少なくなってきます。

 結局、歴史を扱ったフィクションの人物で日本人が最も好むのは武士である、ということに気付きます。日本人に限らず、武士=サムライは、海外でも日本人を代表するキャラクターの一つとして定着し人気がありますね。たとえば平安貴族や公家、僧侶などは風景の一部や脇役、一般通行人?などとしては重宝されますが、歴史ものフィクションの主人公にはなりにくい。たとえば平安時代の藤原氏を主人公としたとしても、ほとんど動きがないし、毎日方角を気にしたり加持祈祷したり、自分の娘にみかどの世継ぎを生ませ、窮屈きわまる慣例に縛られつつ、腹芸と根回しで退屈な日常をやり過ごしていくことで成り上がっていく、なんてストーリーでは、キャラとしてもプロットとしても絵的にもつまらなくなってしまいますね。やはり他力本願キャラクターではストーリーが成立しにくいのは確か。どうもいまひとつすっきりせず、何やら陰湿ではないですか・・・。

 などなど考えていたら、なんだ、今の日本人の生活は、どっちかといえばお公家的なものがメインじゃないか、と、ふと気付きました。あまり自律的に行動したり、変な発言をしたり、回りに合わせられない者は生きにくい、ということは、本来極言してしまえばテロリスト集団である武士なんて、今の日本社会では存在が認められるわけがない。それでも歴史ものフィクションでは武士が人気なのは、現実逃避のないものねだりなんでしょうか? と、少しばかり子供っぽくひねくれてみました。

(3)燃えよ剣ー1

 さて、『燃えよ剣』は新撰組ものの最高傑作であり、幕末ものとしても日本の歴史小説の中で5本の指に入るのではないか、と私は勝手に思っています。10代の高校生の頃、初めて読んだ『燃えよ剣』の感動は、まず忘れることはありません。司馬遼太郎の歴史小説の清新でダイナミック、いってみれば驚くほど素直な健康さ、みたいな特性が、10代の感覚にはぴったり合っていたのだと思います。

 司馬遼太郎の小説の中で、最も生き生きと描かれるのは若者であり、そういった意味でも、「青春」と言っても恥ずかしくなかった60ー70年代の雰囲気を思い出し、くすぐったいような気分がしてきます。そもそも、史実を見れば、幕末を牽引したいわゆる志士たちの若さに改めて気付いて愕然としたり、幕末を描くことがイコール青春を描くことにつながるのも頷けることでした。

 戦国時代もそうなのですが、幕末には武士の男性で、魅力的な人物が輩出していることも、フィクションの題材にしやすい理由の一つでしょう。新撰組ものは、一つの組織を描くということで、人間群像ものとしての魅力もあります。この組織が自発的に作られたもので、目的が分かりやすくはっきりしていて、敵もはっきりしている。そして魅力的な若者たちが精いっぱいダイナミックに活躍する。・・・当時流行の進歩史観から見れば、アンシャン・レジーム(旧体制)に属し、日本の近代化を進めようとする幕末志士たちと対立した彼らは反動であり、ちょっと前の(私の嫌いな)流行語でいえば「負け組」に属するのですが、それこそが判官びいきの日本人の好みにぴったり。

 

(4)燃えよ剣ー2

 どうも、日本では、歴史上の人物としては、長生きした堅実で腹黒い?タイプは人気がありません。徳川家康は、織田信長よりも秀吉よりも最後まで長生きして、サバイバルゲームに勝利し、自己中な徳川幕藩体制を確立したことで、最も嫌われている人物です。彼には日本人好みの純粋さという性格特性が見られないからで、それは政治家として優秀であることの裏返しでもあるのですが、キャラクターとしてはいつも腹にいちもつ持ったたぬきおやじ、というブラックな悪役系であることがほとんどです。

 現実には、彼は少年時代を人質として敵の城で軟禁されて育ち、父親にも一時は見捨てられて敵の間をたらい回しにされるなど、大変な苦労人で、最初の妻もその当時彼より強かった武将の命令で長男とともに殺されていたりします。何度となく生命の危機をくぐり抜けてきていて、長生きしたのはずるくて腹黒かったからだけでなく、相当に運も味方していたと考えざるをえません。当時の状況では、誰がサバイバルしたとしても、そうならざるをえなかったでしょう。

 だから、家康を主人公にした小説もあるのですが、家康の人物の魅力というよりは、歴史の流れそのもの、エピソードの積み重ねの年代記ふうの設定になっている傾向があるように思います。脇役として出てくるなら、やはり悪役として使うのが最も使いやすい。
 話がまたあらぬ方向に行ってしまいましたが、要するに、夭折者の魅力、というのがまた歴史ものの人物造型にとってははずれなしのおいしいネタなのです。新撰組のメンバーたちは、幕藩体制崩壊の時に、幕府の側にたったがために、ほとんどが若くして戦死したり敵に処刑されたりという悲劇にみまわれているわけで、「時局の読みを誤った彼らの自己責任である」なんてクールな見方をすればその通りなのですが、気持ちとしてはどうしても思い入れしてしまいますね。何しろ、誰も確実な未来予測ができるとは確信できず、彼らの運命も決してひとごとじゃない、と感じられるでしょうから。それは行き過ぎにしても、少なくとも、満を持して危うきに近寄らず、何もせずして生き延びるリスク回避のできる者こそがIQ高いのだ、では、歴史小説なんて読んでも面白くもなんともなくなるのではないでしょうか。

(5)燃えよ剣ー3

 さて、新撰組のコアなメンバーは、もともとは武州多摩(現在の日野市周辺)出身の下級武士たちで、天然理心流という流派の剣道場の仲間でした。徳川幕府直轄地である天領の周縁部にいた、半農の下級武士や浪人たちが、近藤勇・土方歳三を中心として、清河八郎という得体の知れない人物の働きによって新撰組を結成、幕府の御墨付きを得て京都に向かうことになります。250年続いた徳川体制も、遂にきしみを見せ始め、末期的様相を呈していたその時代でなければ、このようなよく素性も知れない私的な集団が、幕府の御墨付きを簡単に得るなどということは考えられなかったでしょう。すでに、味方してくれる者なら誰にでも頼りたい、というぐらいな状況であったのではないでしょうか。

 こうして、最後まで徳川幕府のために戦ったのが、天領の周縁部の出身者や、たとえば会津藩のようなやはり辺境の藩であったのも、歴史ではよく見られるパターンですね。維新を主導したのは長州・薩摩を中心とした、本来は幕藩体制の中では外様とみなされていた、日本列島のうちでも江戸から地理的に最も離れた藩、システム内部にありながら敵とも見なされていた、江戸からの自立度が高い藩であったのは、誰にでも分かりやすい構図ではあります。こういった開国派勢力と、それを阻止しようとする幕府側勢力が、京都に集結してあちこちで衝突を繰り返していたのが、新撰組の時代でした。

 新撰組にせよ、会津藩にせよ、実はそれほど幕府に優遇されてもいなかったのに、朝敵の汚名を着てまでも最後まで幕府の側で戦った、ということで、そのあまりな愚直さ不器用さが、却って一般庶民から見れば同情に値したのかもしれません。明治維新は結局は武士の上層部での政権交代に過ぎず、庶民の視線はさめていました。「勝てば官軍」と揶揄されたのも、一般庶民がことの本質を見抜いていたからだと思われます。幕府側として京都に送られた会津藩や新撰組のメンバーたちは、田舎者とバカにされつつ、自らに与えられた仕事を精いっぱいこなそうとする。明治維新からだいぶ長い間、彼らには「朝敵」として維新の志士たちの側から見た悪役イメージがついて回ったのです。新撰組ブームが起きた戦後の高度成長期以降、ようやく彼らの悪役イメージは払拭されることになり、『燃えよ剣』は、新撰組に関わった若者たちの青春の夢を描ききって、完全に彼らの復権を果たしたのでした。



 

(6)燃えよ剣ー4

 さて、司馬遼太郎の描いたキャラクターのうちでも、最も魅力的であったのが、『燃えよ剣』の沖田総司でした。小説全体の主人公は土方歳三なのですが、冷酷さと情熱家の両面を持つ土方に対比して、無骨で落ち着いたオヤジ風の近藤勇、そしてひたすら無垢な心を持つ若き剣の天才・沖田の関係は、3人兄弟のよう・・・こんな比較は遊びでしかありませんが、カラマーゾフの兄弟でいえば、長男ドミトリーを近藤局長とすれば、土方がペシミストのイワン、沖田が素直でピュアな末息子アリョーシャ、というアナロジーも考えることができるような。・・・・

 沖田総司は結核にかかり、官軍に追われて東北・北海道へと敗走する隊から一人離れ、千駄ヶ谷の家で療養中、24歳で病死してしまう夭折の剣士ということで、剣の腕が天才的であったことも含めて、ヒーロー化され美男のイメージがつきまとっています。ただ、歴史家の人たちの研究によれば、現実の彼はどちらかといえば無骨なルックスで、シャイな武道家風であったようです。

 『燃えよ剣』の沖田は、いつも穏やかに微笑み、突き抜ける青空のような不思議な明るさを持った若者で、とても殺人者には見えない。ひたすら素直でピュアな沖田の心は、すでに自分の運命を予感してか、どこか全てを放棄し遠いところから見通しているような、人ならざる視点を持っています。こういった特徴は、確かに現実に自分の周囲にいた夭折者に共通して見受けられた何かであるような気がします。彼と類縁的なキャラクターが、『世に棲む日々』の吉田松陰として出てきますが、不思議に人を惹き付ける無垢な少年のような彼らの表情に、ほんの少しだけ司馬遼太郎自身の笑顔の無邪気さと近いものを感じ、彼の歴史小説に通底する明るさ透明さということにふと納得させられたりもするのでした。




 



            

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