(1)赤毛のアンー1

 『赤毛のアン』は、私ぐらいの年代の読書好きの女性にとっては格別の思い入れがあるのではないかと思います。60年代ぐらいまで、「少女小説」という、ジュブナイルの分野があったのですが、今だと漫画、アニメ、テレビドラマに読者層を持って行かれているかもしれません。少女小説とは、たとえばオルコットの『若草物語』など、少女を主人公にして、その成長を描くもので、たとえば『十五少年漂流記』などのように、少年小説が非日常の冒険を描いていたのと比べ、より日常生活の中の出来事に密着してストーリーが進んでいくところに特徴がありました。

 日本の典型的な少女小説といえば吉屋信子の『花物語』のようなものでしょうが、こういった閉ざされた耽美的世界は、戦前のように男女の生活空間と人生目標がくっきりと分けられていた時代、少女時代が一種のサンクチュアリのように外界から隔絶して守られ閉鎖されていた時代にこそ存在できたものでしょう。

 まだ10代にもならない、小学校3、4年生の頃、私が夢中で読んでいた少女小説のほとんどは、欧米の少女たちを描いた翻訳ものでした。少女探偵の出てくる探偵小説から、看護婦になろうとしている少女を描いた職業もの、気立てのよい少女がいじめなど逆境に耐えながら幸せになるというシンデレラパターンのメロドラマ、歴史ものまで、あらゆる少女小説の中でも、1年近くその世界に独占的に捕らえられ浸りきってしまったのが『赤毛のアン』でした。

(2)プリンスエドワード島ー1

 『赤毛のアン』の舞台となるのは、カナダの小さな島プリンスエドワード島です。当時、能登半島の山の上にほとんど外界と隔絶されて住んでいた、田舎の子供だった私にとって、欧米人を実際に見ることもほとんどなく、カナダとアメリカ、ヨーロッパの違いも分かりませんでしたが、やはりカナダの寒冷な気候と大自然に囲まれた、何もないからこそ手作りのイマジネーションを思いきり広げることのできるアンの世界には、ごく自然に入り込むことができました。

 空想癖の強い、個性的な赤毛の女の子アン・シャーリーの物語には、作者のルーシー・モード・モンゴメリが過ごした19世紀末のプリンスエドワード島の生活が反映していたのでしょうが、こういった機械化以前の、言ってみればナチュラル派の生活が、60年代頃の日本の少女たちにとって憧れの対象であり、容易にその世界に没入することができたものであったのは何を意味しているのでしょうか。

 赤毛のアンは、意外と本国カナダでは知られていない、読まれていないそうです。高校生になってから、カナダから来た留学生の同じ年頃の少女と話をする機会があった時、私はさっそく「赤毛のアン」の話をしようとしたのですが、彼女は「ごめんなさい、それ知らないの。読んだことがない。ヘミングウェイはどう?」と言うのでがっかりした覚えがあります。その後、アメリカ人の女性と話をしても、『赤毛のアン』やモンゴメリを知っている人には会えませんでした。日本ではこんなに有名なのに、と、不思議に思ったことを覚えています。

(3)プリンスエドワード島ー2

 『赤毛のアン』を熱狂的に支持していたのは、どうも私たちぐらいの世代の日本の本好きの女の子だけ、というと語弊があるかもしれませんが、どうも、その後はそれほど読まれている雰囲気もしないし、本国の人に聞いてもクールに「知らない」と言われるので、もしかしたら、あの時代、あの状況の日本においてのみ、特に訴えるものがあったのかもしれない、とも今では考えています。

 小学校3、4年生の頃の私は、本来何でも本を手当りしだいに読みあさる多読雑読傾向だったのに、ほとんど『赤毛のアン』シリーズ8巻を繰り返し読むだけで1年近くを過ごしていました。このシリーズは、アンの少女時代からアンの娘の青春時代、アンの50代までを描いていて、アン・シャーリーという女の子の一生の物語だったのですが、アンは孤児院からある兄妹のところに引き取られてきて、アヴォンリーという小村で自然に囲まれて育ち、やがて街の大学で学生時代を過ごし、女子校の教師となり、幼馴染みと結婚して島の家で生活し子供を育てる、と、特に大事件に遭うこともなく、変わったこともないごく平凡な人生を送ります。

 ところが、その人生の生活の日常の小さなエピソードの一つ一つが、珠玉のようにきらめいてワクワクするものに思えたのはなぜだったのでしょうか。手作りのパイを焼いたり、パフスリーブのドレスに憧れたり、花柄の羽布団に寝るアンの様子を想像したり、お茶会の準備に忙しくする外国の日常の時間の一こま一こまが、あたかも自分が経験していることのように身近に感じられたのは・・・? イマジネーションに溢れたアンが、家の周囲の森や小道に「恋人たちの小道」「お化けの森」と名前をつけていたように、私も能登半島の山の上の何の変哲もない森や林、沼などに、ひそかに自分で名前をつけて空想を楽しんでいたのでした。



 

 

 

(4)プリンスエドワード島ー3

 今になって思えば、60年代の日本の田舎の子供の生活は、ほんとに何もなく、できあいのおもちゃや本も滅多に手に入らず、生活の機械化も最低限で、山の上で他の友達とは離れて生活していたのでもっぱら妹弟プラス近所の友達数名と遊び、ただただだだっ広い自然と、自由にできる時間とがたっぷりとあっただけだったのです。いまどきのように、子供のニーズに合わせて快適に作られたおもちゃも遊びもなかったので、どうしたかというと、時間をかけて自分たちでゼロから遊びを考案していたのです。

 考えてみれば、それは19世紀末あたりのカナダの田舎の生活にかなり通じるものがあったのかもしれないと思います。ほとんどが手作りのナチュラル派の生活、刺激の少ない平穏な日常は、イマジネーションに恵まれた人間にとってはそれを生き生きと広げることのできる絶好の環境です。何もないからこそ、また完成された便利なものが不足しているからこそ、空想の力で補い、宇宙の彼方までイマジネーションを羽ばたかせることができる。その自由の素晴らしさ、というのは、今の日本ではちょっと味わえないものかもしれません。

 空想に浸る時間は、本人にとっては至福の豊かな時間なのだけれども、はた目から見れば単にぼおっと怠けている、あるいは、訳のわからない嘘ばかり言ってる変人としか映らないものです。赤毛のアンも、19世紀末のプリンスエドワード島という、のどかで人口が少なく、みんなが親類のようで、時間のゆとりがたっぷりあった村の中で生活していたからこそ空想に浸ることが許されたということはあるでしょう。たとえばそこが近代化の進んだ都会で、みんなが時間に追われて暮らしていたら、全く理解もされないしひどい場合には多重人格障害とか病名をつけられて病人扱いされたかもしれないと思います(笑)

(5)赤毛のアンー2

 何もない、不便、シンプル、稚拙、無駄、などなどといったことは、現代ではマイナスに評価されがちですが、実はそういったところにこそ人間の空想の力、つまりは創造性につながる何かを発達させる余地があったとも言えると思います。昔が良かった、とか、そういう安易な発想で言っているのではなく、便利もいいし、洗練も結構なことだけれども、一方で失われたものも大きい、という指摘をちょっとここでしておきたいような気がします。

 今の日本の子供達、と一般化できるかどうか分かりませんが、身の周りの子供達を見ていて、放っておかれない、自由にぼおっと無駄に過ごせる時間が少ないということには、余計なお世話かもしれませんが同情を覚えることがあります。自分で何かを作ろうとしても既によくできた製品が売ってあって、手作りは見劣りがするとか下手だとか言われて子供の創作意欲をつぶしてしまいかねません。何ごとも上手に洗練された、きれいなものを作らないとバカにされるような、そんな風潮も感じられ、子供は畏縮してしまうのではないかと思います。

 大人の目の届かない、子供たちだけの手作りの世界、上手だの下手だのと比較評価されることもなく、商品化を基準にどうこう評価されることもなく、のびのびと自由に空想力で補っていた、冬の雪のかまくらは、どんな王様のお城よりも豪華な宮殿だったし、その後大人になってからいわゆる高級ホテルなどに泊まっても、あの粗末な手作りの雪の家ほどにワクワクしたことはありませんでした。

 現代の大人が、もちろん自分自身も含めて、そんな幸せを子供達から奪っているとしたら申し訳ないことだと思います。9才の頃の私は、山道をボロボロになった『赤毛のアン』の本を読みながらランドセルをしょって歩いていた、小柄で痩せて貧弱な、眼鏡をかけた田舎の女の子にすぎませんでしたが、イマジネーションの世界の広がりは実に豊かで贅沢なものでした。どんなお金をかけたとしても、あの時の幸福感というものは再現できないと思っています。

(6)プリンスエドワード島ー4

 カナダ・プリンスエドワード島の歴史について、大人になってからいろいろと知る機会があり、『赤毛のアン』やモンゴメリの背景についてもある程度クールに見られるようになりました。

 プリンスエドワード島は、先住民の時代から、フランス人により「発見」され、フランスとイギリス両国の間で所有権争いの場になったという歴史を持っています。現在の住民の大部分がスコットランド系であるとのこと。モンゴメリという名前も、彼女が結婚した相手の牧師の名マクドナルドも、典型的なスコットランドの名前です。ケルト系に特有の夢見がちなイマジネーションに富んだ性格が、モンゴメリのアンの夢の島をつくり出しているというのは納得しやすいことです。

 パッチワークや手作りのキルト、木いちごのパイ、花柄のインテリアや妖精たちの住んでいそうな森、などなどの風景は、スコットランドやウェールズのイギリス・カントリー風そのもののイメージです。自然を友とし、空想を人生の楽しみとも慰めともしながら、一方でストイックで素朴な生活を送るケルト系移民の19世紀末から20世紀初頭にかけての人生哲学のようなものが、『赤毛のアン』からは伝わってきたように思います。

(7)モンゴメリ

 作者のルーシー・モード・モンゴメリは、幼くして母を亡くしてプリンスエドワード島の祖父母に預けられ、豊かな自然の中で自由な空想を楽しみながら育ったということです。フィクションを書くほどの人ですから、アンと同様、想像力が溢れるほどで、周囲の人には浮き世離れしたことを話す変わり者と思われていたかもしれません。ただ、ケルト系、スコットランドやアイルランド系の女性では、そういったタイプはそう珍しくなく、自然に受け入れられるものだったのは幸いではなかったでしょうか。

 祖父母のもとで島の片田舎で育った彼女は、同世代の中ではどちらかといえば古風なところもあったでしょう。本土の都会の大学で教職の資格を取ると、モードはプリンスエドワード島に戻り、親代わりの祖母の世話をしながら教師の仕事を13年に渡って続け、祖母の死後ようやく36才になってから婚約者の牧師と結婚するのです。長い婚約期間を過ごした恋人どうし、どちらも誠実できまじめな性格を感じさせます。

 牧師の妻としての日常、更に3人の子供を育てながら、アンシリーズや他の少女小説を書き続けていく生活は、よほどの意志の強さを必要としたと思います。現実の生活上の仕事と、頭の中にあるイマジネーションの世界を展開し書き留める仕事を同時にやっていたのですから、二つの全く違った人生と生活を同時進行させていたようなもので、彼女は時々疲れきって、特に教会の集会の仕事では何度も「首を吊ってしまいたいぐらい」と日記に書き留めているほどです。

 こんなタイプの女性というのは、たとえば現代の日本だったら存在を許されたかどうか、と思います。あるいはひどい誤解にさらされたり、何か病名をつけられてほんとに病気になってしまったかも・・・ただ、60年代ごろの日本の少女たちには、まだまだ彼女に共感できるような空想の時間を過ごす余地があったのかもしれない、と、今となっては思います。今から見れば何もない、貧しい時代ではありましたが、そういう点においてのみ見れば、イマジネーション過剰タイプの人間にとっては肩身が狭くなく住みやすい時代であった、というプラス面は確かにあったのだと思います。



            

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