(1)忘れぬ眉目

 矢田津世子という女性作家については、作品は知らないけれども坂口安吾の恋人として名前は知っている、という人の方が多いかもしれません。昭和前期に「女人芸術」などに書いていて、代表作は「神楽坂」「茶粥の記」あたりなのですが、いまひとつ一般的ではないし、36才で早世したため残っている作品の数自体が少ない。彼女自身の言葉よりも、彼女について語られた言葉の方がはるかに多く残っている、その意味では、作家としては未完であり道半ばにして倒れた人だったと言えるでしょう。

 矢田津世子は美人作家として有名で、残っている写真を見ると、中近東あたりに見かけられそうなエキゾチックな顔だちの、いささか中性的な美貌の人です。「爽やかな美少年のよう」と、「忘れぬ眉目」の中で吉屋信子が語っているように、硬質なガラスのような透明さ、水のようなクールさを感じさせる彼女の美貌が女性・男性を問わず多くの人を惹き付けたようですが、そのため、よりいっそう作家としての彼女の姿は見えにくくなっています。ほとんどの人が彼女の作品や内面でなく、外見にばかり興味を持ち、好悪の感情のバイアスのかかった視点でしか彼女を描いていないので、冷静に作家として見ていた同時代の人というのが専門家の中でも見つけにくいのです。その点においても、作家としては不完全だったかもしれません。

 「名声に比して内実の伴っていない典型的サンプル」などと言われたりしたことも、自分の意に反して名前ばかりが先行することも、本人はきっと辛かったのではないかと思います。女性の作家というだけで数が少なく好奇の目で見られ、私生活や外見のことばかり興味本位でおもしろおかしく取りざたされたりする、というのはどこでもありがちなことですが、やはり、どれだけ美人作家と言われたとしても、作品で勝負ができなければ作家としては敗北者ということになります。

 実のところ、矢田津世子という人は、むしろ無愛想で口下手な、非常にストイックな求道者的側面のある性格だったようです。どちらかといえば自己表現が下手で、そのために却って彼女に好意を抱く人には過大評価されるきらいがあり、またその逆も多かったようです。理想を抱きつつも、結局は大したこともできず、未完のままで終わってしまった、というのが彼女の作家としての人生だったのでしょう。私はむしろ、そういうところに関心を持って彼女の伝記や残された作品を読んだのでした。

(2)神楽坂

 女性の作家では、BUSUに期待する、と、いつだったか三田誠広さんが書いていらしたのを思い出しますが、ユーモアに紛らしつつも、なかなかリアリティのある指摘であった、というより、古典的公式見解でありました。

 文学史に残る女性の作家に、なぜそれなりの方が多いのか、若い頃はそれは世間の偏見かなにかで、現実はそうでもないのでは、などと思っていたのですが、近くに実例をいくつか見て観察したり、また自分なりの人生経験を積んで世間的なものの見方というものが分かってくるうちに、なるほど、昔から言われていることには確かに真実があるのかもなあ、とようやく納得してきたものがあります。

 あまりオリジナリティのある意見ではないのですが、確かに普遍性はあると思うので言ってしまいますと、ものを書くなどという作業は本来地味で暗いストイックなものであり、集中する時間やエネルギーが相当なければできないことです。さほど男性の関心を惹かないような外見のそれなりの方であれば、まず男性がちょっかいを出してこないので仕事に集中できる、人に嫌われまいと半端な努力をする必要もなく思いきったことが書ける、また、同性の反感を買わずに済むのでライバル視される心配もいらない、などといった、適性が多分にあるわけです。(このあたり冗談半分以上ですので断っておきます)

 矢田津世子の場合を見ていても、彼女に惚れ込んだ女性も男性も見た目のことばかり中心に書いているし、作品については彼女を好きな人は過大評価していて、そうでない人は実力が全くないのに人気だけ、と全否定するばかりで、実のところ彼女の作品に本当に興味があって読んでいた人というのがどれだけいたものか疑問です。「作品より本人が面白い」などと言われる人というのは必ずいるものですが、たぶん、作家としては禁欲的で生真面目な性格だったらしい彼女は、そのことを気に病んでいただろうし、変に目立ったりすることは嫌で、自分の実力や作風に見合った、地道な生活をしたいと切望してはいなかっただろうか、などと想像します。

 現代に生きる私たちは、その意味で、先入観に惑わされることなく彼女の作品を読むことができる可能性がまだしもあるのかも、と思っていますが・・・・

 

(3)もの書きの宿命

 ものを書くこと、そして有名になってしまうこと、の恐さ、とは、自分を嫌いな人がいることが明らかになる、ということではないかと思います。

 子供が大人になっていく第一歩として、自分を嫌いな相手がいることに気がつくこと、があるかも知れません。家族の愛に固く守られていた人ほど、また、人に嫌われてはいけない、と教わっていた人ほど、嫌われることに慣れていない人ほど、その時のショックは大きいだろうと思います。ただ、一般には、子供どうしや家族の間の好き嫌いは、理由が分かるものだし、時間がたっていけば改善の余地もある、という希望があります。問題は、自分の努力ではどうしようもない理由により嫌われていたり、自分が知らない相手にいつのまにか嫌われている、といった場合です。自分の存在そのものが誰かに嫌われている、何をどのように改善しようと、どれほど努力しようとそれは変わらない、という場合があることに気付いた時、ようやく大人の社会に存在している自分を意識できるのではないでしょうか。

 ものを書いて、不特定多数の人に読まれる、ということは、自動的に自分の意見に反対する人、自分の意見や存在そのものにより利害が損なわれる人を敵に回す、敵を作るということなのです。自分が知らない多くの人に自分が知られる、ということは、自分の存在そのものがうっとうしい、と思う相手の存在も明らかにしてしまいます。

 どんなにいい人でも、必ず誰かには嫌われていたり、いつの間にか自覚せずに誰かの利害を損なっていて、知らないところで批判されたりしているものですが、一般にはそれは本人の耳には入らないようになっています。しかし、有名になってしまった人や、ものを書いて自分が何を考えているか見せてしまった人、あるいは、プライベートを一般の人に見られてしまった人、の場合には、それがはっきりと分かってしまいます。

 ものを書き、人に知られる、とは、私生活や外見までもが、文学などに全く関心のない人にまで容赦なく批評の対象になったり、あるいは、自分がいつの間にか属していると見られてしまっている(たとえそれが誤解であったとしても)利害グループと利害対立関係にあるグループ全体に、それだけで嫌われる、という事態になることなのです。そうなってくると、もう、もともと自分が何を書いたか、などということは全く関係がない。ただ単に、私生活や外見が気に入らない、それだけで文学などとは無関係の一般の人に嫌われてしまったりもするのです。

 矢田津世子の場合を見ていても、彼女自身が書いたものより周りの人たちが彼女について語ったり書いたりしたものの方が多く残っていて、賞賛も多いけれども批判も多い。それが実にはっきりしています。自分の書いた作品よりも、自分のプライベートについて他人が書いたものの方が多い、ということは、たとえば芸能人ならばそれでいいのだけれども、良心的なもの書きであるならば、自分の実力のなさを感じて深く苦悩してしまうだろうと思います。彼女はもともと秋田出身の地道で生真面目な性格の人であっただけに、そういった世間や周りのイメージと本来の自分、あるいはあるべき小説家としての自分との乖離に苦しんだのではなかったでしょうか。

 
 



 

 

(4)茶粥の記

 矢田津世子の文章は、どちらかと言うと男性的な感じのするすっきりと禁欲的な文体で、特に中年男性の語りの口調を思い起こさせるような雰囲気があります。「茶粥の記」などは特にそれが顕著なのですが、これは、彼女を愛するあまり、ずっと独身を貫いて彼女を守り抜いていた兄の存在と影響が反映しているのだろうと言われます。

 矢田津世子自身、恋人はいろいろといたけれども、遂に生涯独身のままだったのは、この兄との結びつきが強かったこと、そして、本人がやはり文学に対してまともに取り組もうという気持ちが大きかったからでしょう。兄の不在のときには、彼女にぴったりと付いて離れず、献身的に彼女が書くことを応援していたロシア文学女性翻訳者がいたし、彼等の隙を狙って近付いて来る人間たちもいましたが、晩年は特に、一人で書斎に閉じこもってひたすら書いていることがほとんどであったようです。

 こういった地味で孤独そのものの仕事には、女性の場合は特に、美人であることは不利に働くことの方が多いように思います。つまり、適性に欠けている、ということです。美人であるだけで、既に実力がないと見なされてしまう場合が大変に多いのが世間一般の見方です。美人というほどでなくても、十人並ぐらいであれば、更に不利であるかもしれません。女性の少ない分野において、それだけで目立ってしまえば、あの程度のくせにただ女性だというだけでチヤホヤされて、と、男女を問わずよけいに反感を買ったりするでしょう。

 女性の小説家はBUSUでないと大成しにくい、とは、ある程度現実を鋭く言い当てているかと思います。それなりの容姿の方は、人に嫌われることを中途半端に恐れなくてもいいし、放っておかれるのにも慣れている、つまり失うものがない、鍛えられているという意味で、やはり強いのではないでしょうか。放っておかれれば一人の時間を仕事に全部振り向けることができるし、人付き合いに気を使う必要も少ない。また、実力がある、と、見た目だけで認められてしまう傾向がある、という利点もあります。(このあたりも冗談半分ですのでご注意)

 矢田津世子に反感を持っていたとされる林芙美子を始めとするライバルたちの批判などもそれなりに事実を反映しているでしょうが、まだ修業中であるにも関わらず、そんな相手にライバル視されてしまうというのも、本人にとっては心外だったでしょうし、外見のために一部の人に過大評価あるいは過小評価され目立ってしまうのは、不利益としか言いようがないように私は思います。本人は一生懸命まともに取り組もうとしていたことが分かるだけに、この食い違いは実に同情を禁じ得ないところがあります。

 矢田津世子自身は、なんとかしてストイックに文学の道を極めたいと思っていたのでしょうが、どうしても放っておかれずに甘やかされる傾向はあったし、そのために耐性が
低くなってしまったことは事実なのでしょう。人に嫌われることに慣れていない人には、嫌われることはそれだけで大変な苦痛になるし、敏感な人ならば心身が損なわれてしまうと思います。

 彼女は当時の文学仲間の運動の付き合いで資金調達に協力したため投獄されたことがきっかけで、もともとの虚弱体質と病気が悪化してそのまま早世してしまうことになります。これはまぎれもないひ弱さではありますが、そんな自分の弱さを最も無念に思っていたのは彼女自身だったのではないでしょうか。
 



            

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